MENU

理解してほしいというきもち

障害のある方が暮らすグループホームで働いている。

表現方法は違えど、自分の思いを大切にしてそれを何とか他の人に伝えたいと思っているご利用者が多い。職員や他のご利用者に自分のことを分かってほしくてたくさんたくさん話をして、それでもわかってもらえないと不安に思ってしまう。その感覚はよくわかるつもりだ。

自分を理解してほしい、認めてほしいという気持ちはだれにでもある、と思う。

ただ、相手がどのぐらい自分を理解しているのかを測ることはできない。まして、相手の気持ちを想像することが苦手な人にとってはだいぶハードルが高い作業だと思う。

自分はどうやってそれを測っているのだろう。私のそばにいてくれる人たちはどのぐらい私を理解しているのだろう。

そもそも理解されているの???理解されるってなんだろう。自分は自分を理解しているのだろうか。

なんてことを考え始めたら、そもそも理解するとかしないとかではなく好きか嫌いか合うか合わないかで人間関係成り立っているような気がしてきた。

好きな食べ物が一緒とか、会話のタイミングが合うとか、心地よい距離感とか、服のセンスが好きとか、そんなことで一緒にいる人が決まっているのではないかしら。

そっかそっか。そもそも相互理解自体が難しいんだ。と書きながら気づく。どんなに近い人でも家族でもそれは難しいことかもしれない。

自分を理解してくれないと不安だと思う人に対して、何ができるのだろうか。何を伝えたらよいのだろうか。

理解はしているつもりだけれど実はできていないと思うけれどあなたのことは好きだから大丈夫だよということとか、あなたの言っていることはわかるよ、ということとか。

なんとか安心感をつたえられるような言葉や感覚を身につけたいな。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

solonest-arekoreのアバター solonest-arekore 主任 サービス管理責任者

50代女性。障碍者支援の仕事をしています。相談業務を10年ほどやって今はグループホームでサビ管的なことをしています。
半年前から一人暮らしになりました。成人した息子と娘がいて、私は私自身の生活が始まったところです。
イギリスオランダハノイ日本で子育てと生活をしてきました。楽しいけれど目まぐるしい暮らしでした。言葉が通じない国で四苦八苦して暮らしてきた経験は今の福祉の仕事に役立っていると思います。
いろいろな人や世界を知って、自分のできることを探して生きてゆきたいとおもってます。

コメント

コメントする

目次