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理解してほしいというきもち

障害のある方が暮らすグループホームで働いている。

表現方法は違えど、自分の思いを大切にしてそれを何とか他の人に伝えたいと思っているご利用者が多い。職員や他のご利用者に自分のことを分かってほしくてたくさんたくさん話をして、それでもわかってもらえないと不安に思ってしまう。その感覚はよくわかるつもりだ。

自分を理解してほしい、認めてほしいという気持ちはだれにでもある、と思う。

ただ、相手がどのぐらい自分を理解しているのかを測ることはできない。まして、相手の気持ちを想像することが苦手な人にとってはだいぶハードルが高い作業だと思う。

自分はどうやってそれを測っているのだろう。私のそばにいてくれる人たちはどのぐらい私を理解しているのだろう。

そもそも理解されているの???理解されるってなんだろう。自分は自分を理解しているのだろうか。

なんてことを考え始めたら、そもそも理解するとかしないとかではなく好きか嫌いか合うか合わないかで人間関係成り立っているような気がしてきた。

好きな食べ物が一緒とか、会話のタイミングが合うとか、心地よい距離感とか、服のセンスが好きとか、そんなことで一緒にいる人が決まっているのではないかしら。

そっかそっか。そもそも相互理解自体が難しいんだ。と書きながら気づく。どんなに近い人でも家族でもそれは難しいことかもしれない。

自分を理解してくれないと不安だと思う人に対して、何ができるのだろうか。何を伝えたらよいのだろうか。

理解はしているつもりだけれど実はできていないと思うけれどあなたのことは好きだから大丈夫だよということとか、あなたの言っていることはわかるよ、ということとか。

なんとか安心感をつたえられるような言葉や感覚を身につけたいな。

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この記事を書いた人

solonest-arekoreのアバター solonest-arekore 主任 サービス管理責任者

社会福祉法人で障がいのある方の支援をしてます。キャリア14年。
地域で単身生活をしている障害のある方の生活支援 5年
基幹相談支援センター相談員 7年
グループホームサービス管理責任者 2年
主に知的障碍、発達障害の方が対象ですが、身体、精神の方もかかわってきました。様々な難しいケースを経験しています。制度も把握しています。ケースの整理、構造化、関係機関連携が得意です。

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