初めて哲学カフェに行って対話に参加しました。
きっかけはこの本 ↓

参加者はファシリテーターを入れて9人。お題は「なぜ誤解は生じるのか」
誤解ってなんだ
”誤って解釈していること”
そもそも人間、相手のことなんてわかるわけないし、自分の軸でしか何かを解釈できないのだから誤解も何もないと思うのだが、それを言っては身もふたもないので私はそういう時はいつも哲学に助けてもらいたいと思っている。
そもそも私が相手に誤解されたって思う時、誤解を解きたいって思う時って自分を保身したいとき。
そうじゃないんだよ~こういうつもりだったんだよ~おこらないでよ~悲しませるつもりじゃなかったんだよ~
っていう、自分は悪くないって思いたいとき。誤解を解くために頑張る時もあれば、がんばらないで相手を悪者にして納得するときもあるし、我慢するときもある。
良い誤解は放っておく。「あの人いい人だよね、親切で」とか言われるとしめしめと思う。仕事で感謝される時が多いので、みんなに誤解されていい気持ちになって承認欲求を満たしている自分もいる。仕事と本当の善意の区別はつかない。けれどいやいややっていることでもないので良しとしている。
自分が誤解しているときは正直気づかないときもある。誤解というか勘違い?
勘違いと誤解はなんだろう。イケメンに会ったときに「この人私のこと好きかも♡」というのは勘違いな気がする。
勘違いって何って聞いたら、Chat GPTはその先まで教えてくれた。
項目 | 誤解 | 勘違い |
---|---|---|
意味 | 他人の言動を間違って理解すること | 自分の思い込みなどで事実と違う理解をすること |
原因 | 他人の言葉・行動の受け取り違い | 自分の早とちり・思い込み |
対象 | 他人の意図や気持ちなど | 自分の中の出来事、記憶、状況など |
どちらも「間違った理解」ですが、「誤解」は他人に関係する誤り、「勘違い」は自分の思い込みによる誤りという違いがあります。
ほほう~!
ん?
わかるようなわからないような…
そうか!勘違いは自分の問題だから「えー?そうだったのー?やば間違ってたはずかしい~」と自己完結できるけど、誤解は相手があることだからもっと複雑なのか
参加していた人の何人かは誤解は必ず生じるデフォルトだと言っていた。空気中に誤解はずっと浮いていて、行ったり来たりしているそうだ。
私の理解の仕方は、テニスボールをなげたのに相手が受け取ったのはバレーボールだったみたいな感じ。だから細分化して伝える必要が出てくるのかもしれない。
発する側と受け取る側のスキルが足りないと誤解が生じるという意見もあった。察する力や経験値でもスキルは変わってくる。細かく発信できる人は細かいほうが受け取りやすい人だ。私はおおざっぱなので、おおざっぱに行ってもらったほうが理解できる。細かいと途中でわからなくなってしまう。それはそれで誤解を生む。
誤解は果たして悪いことなのだろうか。
誤解から始まった良いお付き合いみたいなのもある。
9人で話してみてみんながそれぞれの意見を持っていることが素晴らしかった。それをちゃんと発信できる場があることが素晴らしかった。
答えはない。
答えがないのが哲学対話で、参加者の方のお一人は「それが嫌でいったん哲学対話を離れるときが来るのだが、また話したくなって参加する」と言っておられた。
答えがないことをああだこうだと言いあうことはとても楽しい。きっと自分の意見を持ち合っているからだと思う。何も意見がない人との会話ほど苦しいものはない。いつもすごくイライラする。
いろいろな年代、背景がある方たちと一つのテーマについて語り合う
私にはとてもあっている気がするので、
また見つけたら参加します。
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